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パンセの森
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読書と体験を通じて、世界と人間について自分の考えたことを、直接世に問うために開設したブログです。コメントとトラックバックは歓迎しますが、誹謗中傷を含む内容のものは削除しますので、ご承知ください。

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タイトル 日 時
アリストテレス「ニコマコス倫理学」を読む
若かった頃は「ニコマコス倫理学」の岩波文庫版を読んでも、全然分からなかったですが、 52歳になった現在やっと分かるようになりました。 ...続きを見る

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2017/09/04 21:29
理性とは何か
日本人が考えている理性とは、物事を筋道立てて考えるということだが、実はそれはデカルトなどの言っている理性とは、全然違っている。 ...続きを見る

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2017/07/05 22:13
シンボルの機能
人間はシンボルを使う点で、他の生物にはない独自の世界を形成している。 ...続きを見る

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2017/04/09 23:30
国家予算の実態を考える
国家予算は国民の税金でまかなわれています。民主主義においては、税金がどう使われているかを国民が意識するべきでしょう。政治家に丸投げではいけません。 ...続きを見る

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2016/07/08 23:34
Message from a normarl mental disease person
Good morning for ladies and gentlemen all of the world ! I am Haradasi,mastar of this blog. ...続きを見る

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2015/03/21 09:50
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を勝手に読む 世界には本当に意味がないのか?
「論理哲学論考」の全部を、まともに論じていると、何時まで経っても終わらないので、今回で切り上げることにしました。 ...続きを見る

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2015/03/14 11:00
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考」を勝手に読む 論理の中に偶然的なるものはない
「事物にとって本質的なことは、事態の成分たりうることである」とウィトゲンシュタインは述べます。 ...続きを見る

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2015/03/06 08:46
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 事態とは対象(事象・事物)の結合のことである
事態という用語をウィトゲンシュタインは持ち出してきますが、しっかり定義をしてくれています。 ...続きを見る

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2015/02/24 06:41
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 事実とは、事態が存立していることである
一年以上、ブログをほったらかしてしまいました。怠け者ですな、わたしは。 ...続きを見る

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2015/02/21 07:58
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 世界は(出来事へと)砕けて事実となる
前回のコンテンツで、原文からの引用をしましたが(ちくま学芸文庫、『論理哲学論考』ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、中平浩司訳)著作権の関係があるので、なるべく引用は控えようと思います。 ...続きを見る

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2013/11/14 09:12
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 
いまわたしの手元には、ちくま学芸文庫版『論理哲学論考」(ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、中平浩司訳)があるのでありますよ。 ...続きを見る

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2013/10/30 10:00
生命哲学序論 本編 最終章
13−1  以上考察を重ねてきた。最後に結論を述べようと思う。人間中心主義は生命圏の中で生きている生物としての人間という視座を覆うものである。この考えは産業社会と都市化を邁進してきたイデオロギーなのであった。そしてその正体は神を抜きにした一神教なのである。生命の世界が理解されてきた現代において、このイデオロギーは打破されるべきである。人間は他の生命と共通の世界に生きているのであって、人間だけの都合を考えていてはいけないのである。自然界の生物多様性は保護されてしかるべきだ。 13−2  宇宙... ...続きを見る

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2013/10/09 06:17
生命哲学序論 本編 第十二章
12−1  この論考の趣旨は生物としての人間を考えるというものであるから、魂や神や信仰のことを持ち出すのは、脱線しているのかもしれない。しかしそのような言及は、自然科学を意識したものではある。自然科学が想定しているのは、物質の世界であるから、人間を対象にすると、肉体を観察することとなる。しかし既に指摘したように(第二章と第三章を参照のこと)それだけではどうしても、精神について知ることは出来ないのであった。もちろん精神の現象を、肉体に観察することは可能である。しかしそれは現象であって、精神そのも... ...続きを見る

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2013/02/18 23:30
生命哲学序論 本編 第十一章
11−1  前述したとおり、私は魂が不滅であると認識している。またそのことはソクラテスが証明しており、私はそれに反論しないのである。というより、ソクラテスに反論出来なければ、魂が不滅であることを認めるべきなのである。私は寡聞にして、反論出来た人間を知らない。さて一方肉体は確率的に存在する、現象なのであった。そのことは量子力学が証明するし、現実なのである。このことから次のことが言えはしないか? 我々がより本質的とするべきなのは、肉体ではなくて、魂なのだと。というのも、肉体は確率的にしか存在しない... ...続きを見る

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2013/02/11 09:31
生命哲学序論 本編 第十章
10−1  量子力学の創始者、シュレディンガーの有名な著書『生命とは何か』の中で、この偉大な碩学は、次のように述べている。  「生物体の最も肝要な部分にある原子の配列や、その間の相互作用は、物理学者や科学者が従来実験的・理論的研究の対象としてきたあらゆる原子配列とは根本的に異なったものです。(中略)まったく異なっているというのは、統計的な観点に関してのことだからです。」(『生命とは何か』、シュレディンガー著、岡小天・鎮目恭夫訳、岩波文庫、2009年)  これは1944年に発表されたものであ... ...続きを見る

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2013/02/09 09:49
生命哲学序論 本編 第九章
9−1  パスカルは物質が思考しないと指摘している。確かにそうだろう。しかし、思考が人間の特権と考えるのは早計である。何故ならば動物や植物にも心があるからである。そのことは我々の日常体験や生物学の研究で、既に解っていることだろう。例えば猫は結構考えている。私は猫が人間に命乞いをしてきた実例を体験した。いきさつはこうである。私はある喫茶店にいた。すると喫茶店の入り口に猫がやってきたのである。店主が餌をやったら、その猫は毎日来るようになった。そして喫茶店の物置に棲みついたのである。そのうち猫は子供... ...続きを見る

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2013/02/07 08:59
生命哲学序論 本編 第八章
8−1  ここで私自身のことを述壊させてもらうならば、私は幼少の頃から青年期まで、釧路湿原の森の側で育った。森はいつでも静寂に満ちていた。夜になると満点の星が現れ、私は夜になるとそれをいつも眺めていた。静寂と夜の光に包まれて、私いつも自分の部屋で瞑目していたものである。それは精神的に非常に質の高い、充実した時であった。だから私は世界が基本的に静寂に包まれていることを、肌身で知っているのである。ところが都市というものは、機械の音で一杯なのである。うるさくて仕方がない。なるほどストレスが溜まるわけ... ...続きを見る

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2013/01/29 20:14
生命哲学序論 本編 第七章
7−1  文明とは何か? このことを根本的に考える必要がありそうだ。文明とは何か? おそらく都市こそが、文明の頂点である。それは人間を自然の桎梏から解放し、ほとんど動物的な生活から、脱出させる。すると、そこにぎりぎりの生存からは導き出されない、人間独自の精神文明と文化が、思想をもとにして構築されるのである。だから文明の最終目的は、人間精神の陶冶なのである。これを忘れた文明は、むしろ野蛮である。今日の文明はそのような状態に陥っているとしか見えない。 7−2  今日の都市、特に人口が集中してい... ...続きを見る

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2013/01/24 05:40
生命哲学序論 本編 第六章
6−1  私は理性使用の究極に、自然の無限な働きと広さに対する畏敬の念が生まれ、その背後にあるなにか、つまり神が見出されると述べた。これは今日の科学的な理性信仰とは、正反対の考えである。というのも啓蒙時代以来、理性使用は迷信の打破と合理主義の徹底だと、捉えられているからである。しかしそれはデカルトやベーコンの登場以来、西ヨーロッパで特殊的に論じられた思考様式なのであって、他の多くの民族が伝統的に考えてきたこととは異質なのである。たまたま科学技術と産業資本主義経済の成功によって「文明的」と言われ... ...続きを見る

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2013/01/22 05:00
生命哲学序論 本編 第五章
5−1  現象というこなれない表現よりも、具象と抽象という対立概念を用いた方が、理解に資すると思われる。具象とはものに具わっていること、抽象とはものからぬきだしたこと、という理解のほうが解りやすい。ぬきだしたからといって、ないのではない。それは茶の葉と茶の関係に似ている。茶というものは何かといえば、茶の葉から抽出されたものが湯に溶けているものである。茶は確かにある。しかし具体的には色の付いた湯ともいえる。具象と抽象の関係は、そのようなものであろう。 5−2  私は信仰と神というものを持ち出... ...続きを見る

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2013/01/20 08:58

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