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help RSS モダンとポストモダンを過ぎ去って 21世紀の知 1、自然科学的世界観の陥穽

<<   作成日時 : 2009/02/15 20:05   >>

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 本稿はモダンつまり近代とその連続にすぎないポストモダンを批判的に捉えなおす事で、21世紀の知を模索することを目的とします。


1 忌避される知

 現代の科学は難解なために敬遠されています。まるで一部の科学ファンのためにあるもの、もしくは専門家ためにあるものという感があります。しかしもともと自然科学は、明晰、判明に自然を説明するため、つまり誰にでも理解できるように作られたのです。ですから現代の科学は最初の目的から離れてしまっているもいえます。
 科学に限らず、現代では知が一般に敬遠されています。学校でやむなくやらされる、苦役と捉えられているのではないでしょうか? なぜこういう事態になったのでしょうか? 
 現代文明は17世紀の北西ヨーロッパに起源があります。そのころに考えられた哲学思想が元になっているのです。そこでこから振り返って、この問題を考えてみたいと思います。

2 自然科学的世界観の問題点

 近代ヨーロッパの自然科学の基礎は幾何学的世界観です。それは、観察された自然を、データ化して再構成するという方法をとります。しかし本来それは、人間が構成したものに過ぎず、それがそのまま自然である保証はありません。ところが、デカルトやベーコンなどの哲学によって、人為的に構成された世界がそのまま自然の本当の姿であるという世界観が確立されました。このことによって世界はたんなる物体の集合であるという機械論的世界観が生まれたのです。古代の目的論的世界観とかけはなれたこの世界観は、人間自身も単なる物体であるという観念を構成するのみならず、人為的に構成された世界を世界の真の姿とすることによって「人間が万物の尺度である」という命題を再確認するに至りました。これにより、真理と永遠の問題は忘れられ、世界から生命と心が分離されたのです。またこれは神の忘却でもありました。人間は世界の中心でありながら、世界から疎外されているという、ねじれた意識がうまれたのです。このことは現代にも受け継がれています。

3 生命の疎外と、自然の操作

 このように自然科学的観は、人間の命の問題を捨象します。人間は機械と同じ物体にすぎないという観念は、おおきな不安をもたらします。また、幾何学的に世界をとらえることは、自然を人間が操作しようという発想を生みました。今日の我々が抱いている不安と、産業社会の発達による自然破壊は、近代の産物といえましょう。なにより問題は自然科学が幾何学的であるゆえに、価値中立的であることです。だからこの世界観の影響で我々は価値の中軸を失いました。

4 おわりに

 簡単に自然科学的世界観の問題点をあげました。我々の生きている現代世界は科学技術の産物であるがゆえに、ともすれば我々の精神は生き生きとした生命を失うのです。これを解決するには、なにが有効か筆者は詳らかではありませんが、おそらく呪術的ではない、目的論的世界観を模索することは可能性のある探求でありましょう。その際に古代の哲学や宗教を、正確に把握することは、有益であると思われます。

以下、折りに触れて同様の問題を考えてみたいと思います。

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