哲学と現実
一般的にいって哲学は抽象的で難解な、現実とは別の真理の世界を扱うと思われている。しかしそれは誤解であ
る。哲学は現実から出発して現実に帰るものである。他の学問と哲学を比較した場合、哲学の特徴は認識の対象
を持たないことにある。哲学の場合人間が生きている場としての現実そのものに中にあって思索をするのである。そ
のような思索の運動がなぜ起きるのかといえば、明晰だったはずの現実が揺らぐからである。哲学はこの揺らぎを
捉えて思索し、再び明晰な現実を回復する過程そのものなのである。だから万人は哲学者なのである。というのも
我々は大抵は自分の生きる場としての現実が揺らぐ体験をしているからである。例をあげるなら、二十歳になった
時、大抵の人は自分が今までとは違う世界に入ることを感じる。今までは未成年だった。それが成年になるのであ
る。そうなると今までとは違う考えを持たなくてはと、大抵の人は考えるのである。実はその時にすでに哲学は行わ
れているのである。そこで考えるということ、その過程を経て、再び自らの現実に帰るなら、誰でも自分が別の世界
に入ったことを感じる。当然価値観や生活やその他は組み替えられるのである。だから哲学は現実を思索の場とし
ているというのである。これが他の学問とは違う哲学の特徴である。他の学問は現実を固定された認識の対象とし
て扱う。哲学はそのような立場をとらない。むしろ現実に生きていることそのものを手がかりにして思索するのであ
る。だから哲学は無前提の学といわれる。さらにいって、哲学は単に概念や観念を玩ぶのではなく、現実に立って
思索し、その過程で概念や観念を使用するのである。そして思索の結果は、今までは見えなかった現実として立ち
現れる。もしそうでなかったら、哲学など全く無用の長物だろう。実は哲学とは現実に直に働きかける思索の過程な
のである。そして哲学書とは思索の過程の記述なのであって、単なる知識の集積ではない。したがって、著者と同
じ問題意識に晒されていない人間には、なにを訳の解らないことを書いているのだろうとしか思われないのである。
この点が哲学が現実から分離しているという誤解を招くのにすぎないのである。
る。哲学は現実から出発して現実に帰るものである。他の学問と哲学を比較した場合、哲学の特徴は認識の対象
を持たないことにある。哲学の場合人間が生きている場としての現実そのものに中にあって思索をするのである。そ
のような思索の運動がなぜ起きるのかといえば、明晰だったはずの現実が揺らぐからである。哲学はこの揺らぎを
捉えて思索し、再び明晰な現実を回復する過程そのものなのである。だから万人は哲学者なのである。というのも
我々は大抵は自分の生きる場としての現実が揺らぐ体験をしているからである。例をあげるなら、二十歳になった
時、大抵の人は自分が今までとは違う世界に入ることを感じる。今までは未成年だった。それが成年になるのであ
る。そうなると今までとは違う考えを持たなくてはと、大抵の人は考えるのである。実はその時にすでに哲学は行わ
れているのである。そこで考えるということ、その過程を経て、再び自らの現実に帰るなら、誰でも自分が別の世界
に入ったことを感じる。当然価値観や生活やその他は組み替えられるのである。だから哲学は現実を思索の場とし
ているというのである。これが他の学問とは違う哲学の特徴である。他の学問は現実を固定された認識の対象とし
て扱う。哲学はそのような立場をとらない。むしろ現実に生きていることそのものを手がかりにして思索するのであ
る。だから哲学は無前提の学といわれる。さらにいって、哲学は単に概念や観念を玩ぶのではなく、現実に立って
思索し、その過程で概念や観念を使用するのである。そして思索の結果は、今までは見えなかった現実として立ち
現れる。もしそうでなかったら、哲学など全く無用の長物だろう。実は哲学とは現実に直に働きかける思索の過程な
のである。そして哲学書とは思索の過程の記述なのであって、単なる知識の集積ではない。したがって、著者と同
じ問題意識に晒されていない人間には、なにを訳の解らないことを書いているのだろうとしか思われないのである。
この点が哲学が現実から分離しているという誤解を招くのにすぎないのである。
この記事へのコメント
というかすごく解りやすかったです。
哲学というものを漠然と考えていましたが・・・なるほどそうやって言葉にしていただくとはっきりします。
私も哲学の真っ只中にいるということですね。人はかっがえる動物なので、ほとんどの人が知らず知らずのうちに哲学と言うものを通過したり、あるいは常にその傍らにいるということなのですね。
ただ、学んではいないので統計的にとか概念としてとか・・・論理的には深く考えられなかったり、言葉にできなくてもどかしかったりしていたんではないのかと思いました。