ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 

いまわたしの手元には、ちくま学芸文庫版『論理哲学論考」(ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、中平浩司訳)があるのでありますよ。

この本「語りえぬことには沈黙せねばならない」という決めのせりふで有名であります。

まあ、難解で知れわたっている哲学書ですな。

つい昨日のことなのですが、わたしはこれを読んでおりました。三回目だと思います。

そして

「なんだか解るような気がする」

と不遜にも感じてしまいました。

それで自分の勉強も兼ねて、わたしなりに「論理哲学論考」を解釈してみるというのが、このコンテンツの趣旨であります。

本当は英語で読めればいいのですが、わたしにはそこまでの語学力はありませぬ。

以下、『論理哲学論考』から、原文を引用していきますが、引用モトは前掲書であります。

さて、ウィトゲンシュタインはいきなり、こんなことを書きます。

1 世界とは出来事たる一切である。

わたしは、ここでガツンときました。

たしかに世界というのは、常に現象していますから、出来事によって、満たされてますな。

しかし「一切である」と断言するところが、ウィトゲンシュタインの切れ味でありましょうか。

わたしたちは、出来事というのは、一過性のことだと、ふつう感じているのではないでしょうか?

たとえば、交通事故とか、有名人の物故とか、まあ、起きることですな。

そして世界は基本的に静止していると、普通は考えていると、わたしは思います。

ところが、そうではないと、いきなりいうわけですよ、ウィトゲンシュタインは。

さらにこうもいうのです。

1.11世界は事実によって規定されており、また、一切は事実である、ということによって規定されている。

これもガンときますな。

ここで世界といっているのは、人間が捉えている、世界のことですな。それを規定、つまり規則を与えているのは、事実だというわけです。

ウィトゲンシュタインは、想像というものは、人間が捕らえている世界を規定していないと、断言している、とわたしには読めます。

ああ、この作業は長くなりそうですな。続きます。

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