ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 世界は(出来事へと)砕けて事実となる

前回のコンテンツで、原文からの引用をしましたが(ちくま学芸文庫、『論理哲学論考』ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、中平浩司訳)著作権の関係があるので、なるべく引用は控えようと思います。

さて、ウィトゲンシュタインは、世界というものを問題にしています。この世界という概念は、西洋哲学でよく問題にされるものですな。

日本人なら、世界というと、世間とか社会とか地球とかを具体的に連想しますが、西洋の哲学者がいう、世界という概念は、もっと抽象度が高いです。

有名なところでは、メルロ・ポンティーの「世界内存在」という概念がありますな。人間は世界の中に存在していると。考えてみると、当たり前のことでありましょう。

では、なぜこんな概念が問題となるかというと、現実というものが、人間にどこまで解るかという、哲学的な問題意識があるからです。

というのも、西洋哲学では、人間の頭の中味と、人間を取り巻いている現実の間には、決定的な隔絶があると、考えるからなのです。

まあ、子供が空想をいうと、「そんな非現実的なこと信じて」と大人は余裕で笑いますが、西洋哲学では、大人も子供も、現実がよくわかっているとは、厳密にはいえないと、考えるのですな、ややこしい。

こういう考え方は、ヨーロッパの歴史を加味しないと、よくわかりません。

かつてヨーロッパでは、キリスト教の教義、ドグマともいいますが、それが絶対でした。例えば、天動説を教会は支持して、信者にも信じさせていましたな。地球が宇宙の中心で、天体は、そのまわりを回っていると。

ところが、コペルニクスやガリレイといった、天文学者が現れて、地動説が現実だと、主張しましたね。これは、キリスト教会の教義を、真正面から否定してたわけです。

というわけで、現実をつぶさに調べてみると、人間が信じているとおりとは、限らないという、思想が生まれました。これは現代でも、科学的精神として、脈々と続いているのでありますなあ。

そのようなわけで、人間が思い描く世界と、現実の世界は、一致してるとは限らない、という認識が生まれました。今日の日本でも、そう考えるのが常識と思います。

西洋哲学が問題にしている世界、これは、人間の世界と、現実の世界を含んだ、より抽象的な世界です。世界一般ともいいます。

ウィトゲンシュタインが問題にする世界も、それです。このように、人間の世界と、現実の世界を、いかに一致させ、正しい認識を持てるか、という面倒なことを、西洋の哲学者は考えるのです。

とりあえず、今日は、この辺で。

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