テーマ:哲学

現象世界に神は実在しないことを、アリストテレスの三段論法で証明する。

1現象世界全て相互作用している。 2だから実体はいかなる現象世界にも実在しない。 3さて、スピノザがエチカで証明するように神は唯一の実体である。 4したがって現象世界に神は実在しない。 以上 付則 これをもって神の存在を否定できない、何故ならば他の次元に実体として存在しているだろうと推察するから。 解説 …
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アリストテレス二コマコス倫理学を読む

アリストテレスはあらゆる技術は「善」を志向するという。「第一章冒頭」 では悪を志向する学門はないだろうか? それでもアリトテレス は「善」と断言「する。」何故だろうか? 物には、ある場所に集まる性質が「あ るらしんれん。 ニコマコス倫理学 (西洋古典叢書)京都大学学術出版会アリストテレスユーザレビュー:Amazonアソシエ…
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アリストテレス「ニコマコス倫理学」を読む

若かった頃は「ニコマコス倫理学」の岩波文庫版を読んでも、全然分からなかったですが、 52歳になった現在やっと分かるようになりました。 アリストテレスば最高善というものを持ち出します。 アリストテレスに限らず゛ギリシャの哲学者はこれを持ち出しますが。 アリストテレスに因れば゛それ自体が善であることが、究極の善だといいま…
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理性とは何か

日本人が考えている理性とは、物事を筋道立てて考えるということだが、実はそれはデカルトなどの言っている理性とは、全然違っている。 単純に言って、西欧的な理性とは、神の理性の出張所のようなものだ。 言うまでもなく、神は全能である。それと同じものが人間にも備わると考えたのだ。 だから、それを充分に発揮するどなんでも解るはずだ…
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シンボルの機能

人間はシンボルを使う点で、他の生物にはない独自の世界を形成している。 文化があるのもシンボルのお陰。 言葉こそ中心的な役割を持っている。 物にはすべて名前があることに気付くと、シンボル機能は本格的に動き出す。 人間らしさは、そこから発達していく。 苦悩は人間らしいことだ。 苦悩は突き抜けると、人生の意…
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ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を勝手に読む 世界には本当に意味がないのか?

「論理哲学論考」の全部を、まともに論じていると、何時まで経っても終わらないので、今回で切り上げることにしました。 ウィトゲンシュタインは、ずっと世界を分析して、こう結論します。 世界には意味がない。あるとしたら世界の外にある。 さんざん記号論的分析をしたあげく、このような結論に至ったとは、面倒な。 さて、みなさま…
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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考」を勝手に読む 論理の中に偶然的なるものはない

「事物にとって本質的なことは、事態の成分たりうることである」とウィトゲンシュタインは述べます。 おそらくそれは現実に起こること、つまり事態にとって、事物は何らかの「事」に伴ってあることに意味があると解釈できるでしょう。 例えばコップに水を注ぐ、という事態を考えてみると、コップは水を注がれることに機能的な意味があって、それ自体…
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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 事態とは対象(事象・事物)の結合のことである

事態という用語をウィトゲンシュタインは持ち出してきますが、しっかり定義をしてくれています。 表題にあるように、事態とは事象と事物の結合のことだと。 ああ、あまりに数学的で困惑してしまいました。私はどちらかといえば、言葉に偏っていて数字が苦手なので。 事象を定義してみます。 事象:事実の現象 まあくだけていえ…
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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 事実とは、事態が存立していることである

一年以上、ブログをほったらかしてしまいました。怠け者ですな、わたしは。 出来事というものに、ウィトゲンシュタインはこだわっていたようであります。 ウィトゲンシュタインは出来事は事実であると断言します。 哲学者は小説家ではありませんから現実を記述しようとするものです。 現実、これが解るようでわからないものです。 …
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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 世界は(出来事へと)砕けて事実となる

前回のコンテンツで、原文からの引用をしましたが(ちくま学芸文庫、『論理哲学論考』ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、中平浩司訳)著作権の関係があるので、なるべく引用は控えようと思います。 さて、ウィトゲンシュタインは、世界というものを問題にしています。この世界という概念は、西洋哲学でよく問題にされるものですな。 日本人なら…
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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を勝手に読む 

いまわたしの手元には、ちくま学芸文庫版『論理哲学論考」(ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、中平浩司訳)があるのでありますよ。 この本「語りえぬことには沈黙せねばならない」という決めのせりふで有名であります。 まあ、難解で知れわたっている哲学書ですな。 つい昨日のことなのですが、わたしはこれを読んでおりました。三回目…
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生命哲学序論 本編 最終章

13-1  以上考察を重ねてきた。最後に結論を述べようと思う。人間中心主義は生命圏の中で生きている生物としての人間という視座を覆うものである。この考えは産業社会と都市化を邁進してきたイデオロギーなのであった。そしてその正体は神を抜きにした一神教なのである。生命の世界が理解されてきた現代において、このイデオロギーは打破されるべきである。…
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生命哲学序論 本編 第十二章

12-1  この論考の趣旨は生物としての人間を考えるというものであるから、魂や神や信仰のことを持ち出すのは、脱線しているのかもしれない。しかしそのような言及は、自然科学を意識したものではある。自然科学が想定しているのは、物質の世界であるから、人間を対象にすると、肉体を観察することとなる。しかし既に指摘したように(第二章と第三章を参照の…
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生命哲学序論 本編 第十一章

11-1  前述したとおり、私は魂が不滅であると認識している。またそのことはソクラテスが証明しており、私はそれに反論しないのである。というより、ソクラテスに反論出来なければ、魂が不滅であることを認めるべきなのである。私は寡聞にして、反論出来た人間を知らない。さて一方肉体は確率的に存在する、現象なのであった。そのことは量子力学が証明する…
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生命哲学序論 本編 第十章

10-1  量子力学の創始者、シュレディンガーの有名な著書『生命とは何か』の中で、この偉大な碩学は、次のように述べている。  「生物体の最も肝要な部分にある原子の配列や、その間の相互作用は、物理学者や科学者が従来実験的・理論的研究の対象としてきたあらゆる原子配列とは根本的に異なったものです。(中略)まったく異なっているというのは、統…
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生命哲学序論 本編 第九章

9-1  パスカルは物質が思考しないと指摘している。確かにそうだろう。しかし、思考が人間の特権と考えるのは早計である。何故ならば動物や植物にも心があるからである。そのことは我々の日常体験や生物学の研究で、既に解っていることだろう。例えば猫は結構考えている。私は猫が人間に命乞いをしてきた実例を体験した。いきさつはこうである。私はある喫茶…
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生命哲学序論 本編 第八章

8-1  ここで私自身のことを述壊させてもらうならば、私は幼少の頃から青年期まで、釧路湿原の森の側で育った。森はいつでも静寂に満ちていた。夜になると満点の星が現れ、私は夜になるとそれをいつも眺めていた。静寂と夜の光に包まれて、私いつも自分の部屋で瞑目していたものである。それは精神的に非常に質の高い、充実した時であった。だから私は世界が…
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生命哲学序論 本編 第七章

7-1  文明とは何か? このことを根本的に考える必要がありそうだ。文明とは何か? おそらく都市こそが、文明の頂点である。それは人間を自然の桎梏から解放し、ほとんど動物的な生活から、脱出させる。すると、そこにぎりぎりの生存からは導き出されない、人間独自の精神文明と文化が、思想をもとにして構築されるのである。だから文明の最終目的は、人間…
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生命哲学序論 本編 第六章

6-1  私は理性使用の究極に、自然の無限な働きと広さに対する畏敬の念が生まれ、その背後にあるなにか、つまり神が見出されると述べた。これは今日の科学的な理性信仰とは、正反対の考えである。というのも啓蒙時代以来、理性使用は迷信の打破と合理主義の徹底だと、捉えられているからである。しかしそれはデカルトやベーコンの登場以来、西ヨーロッパで特…
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生命哲学序論 本編 第五章

5-1  現象というこなれない表現よりも、具象と抽象という対立概念を用いた方が、理解に資すると思われる。具象とはものに具わっていること、抽象とはものからぬきだしたこと、という理解のほうが解りやすい。ぬきだしたからといって、ないのではない。それは茶の葉と茶の関係に似ている。茶というものは何かといえば、茶の葉から抽出されたものが湯に溶けて…
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生命哲学序論 本編 第四章

4-1  さて人間を生命として理解するのに、なぜ以上のことを私が述べてきたかと言えば、自然との正常な関係を回復するためには、人間の傲慢をくじく必要があるからである。そのためには自然に対する謙虚さが必要であるが、それは神への信仰とほぼ同義なのだ。ほぼ同義というのは、自然の理解が神への信仰そのものではないからである。  4-2  とい…
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生命哲学序論 本編 第三章

3-1  私は神の実在に関して当然であるとここまでで言ってきた。それに対して唯物論者は反対するであろうことは予想できる。しかし唯物論も徹底すると、どうしても世界の説明が出来ない局面が出てくる。その時に認識の手をゆるめなければ、自然が唯物論的理解を拒絶することが見出されるはずである。その時点で唯物論は精神を問題にしなければならないからで…
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生命哲学序論 本編 第二章

2-1  人間礼賛、これはどうにもならない、誤った主義である。人間の解放といえば聞こえがいいが、要するに道徳を唾棄しようという主義に過ぎない。だからルネッサンス以来の近代思想は、基本的に間違っているのである。 2-2  もちろん近代思想は科学の発展に寄与した。しかしただそれだけのことだと私は認識するものである。人間の生き方に関して…
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生命哲学序論 本編 第一章

1-1  私は二十代の頃に自然と人間の関係を、あるひとつの唯物的な原理から出発して、演繹的に矛盾無く記述しようとして、失敗した。それから二十年間、私は精神病者として生きてきたのだが、哲学上の主題は放棄しなかった。若かった頃には解らなかったり、知らなかったりしたことがその間に増えた。48歳になろうとしている現在において、たぶん認識は深ま…
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生命哲学序論 はじめに

 今日われわれは、産業社会に生きている。そして、その中でなんらかの職業に従事し、その報酬である金銭で必要なものを手に入れて生きている。もちろん不必要なものも消費しているが。このような社会を成立させるには、資源が必要であることは、いうまでもない。では資源の出所はどこかといえば、人間社会ではもちろんなく、自然なのである。自然なくして、人間の…
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言葉のからだについて 最終章

 この考察も最終章となりました。  以上の考察から解ったことをまとめますと。 1 言葉は身体が感じるような感情を(情緒反応)人間に生じさせる。 2 個人が話す言葉は、母語全体の中で使用される点からして、母語の意味了解の範囲にある。 3 言葉は単なる情報伝達ではなく、それ自体がひとつの構造物である。  といったところかと思います…
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言葉のからだについて 4

 しばらくブログをほったらかしにしてしまいまいした。すみません。    前回は「私のもの」という文例で、「の」の性質について考えました。「の」は単独で用いられる単語ではなく、単語と単語をつなぐ機能があること、また、その意味は抽象的であることを指摘しました。  この場合、意味は所有という観念だと言えるでしょう。  言葉の意…
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言葉の体について 3

考察2 言葉はなにを伝達しているのか?  言葉の機能を、記号のやりとりとして捉えると、それによって伝達されているのは、情報ということになります。伝達された情報が、受け取る側の記号体系において解釈され、なんらかの意味内容が理解されるというわけです。言葉において表しているものは、確かに音声や文字といった記号です。ですから、そのような記…
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言葉の体について 1

 言葉は物質のようなものだと考えます。言葉は物質のように人間に作用するからです。褒められればうれしくなって、顔が紅潮し、けなされれば怒りを感じて、顔が歪みます。つまり心だけではなく、肉体に作用するのです。なぜそうなるのかと、考えてみますに、言葉の体というものがあって、肉体と重なっているからではないかと、私は仮説を持っています。以下、しば…
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