人間は真理に生きるのが最高

人間として善く生きるよう努めるのは当然です。

悪く生きようと努めることなど承服できません。

さて善悪には分別の基準があって、基準に合っているのが善、反しているが悪です。

ではこの定義に基づいて、善悪の基準をこの世界を貫く真理に置くとどうでしょう。

真理に基づくので誤りはなく、しかもその結果は美になります。

理にかなった物事は美しいからです。

したがって真理に生きることは、善と美の一致、つまり道徳と幸福の一致をもたらします。

だから人間は真理に生きるのが最高なのです。

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この記事へのコメント

2008年11月24日 12:43
 こんにちは
おっしやるとおりですね 善に生きれば 必ず良い価値が生まれます
善い行いは美しく徳がうまれます。真理に逆らった悪の行いは苦しみ悲しみの
価値を生みます。悪い行いは醜く害がうまれますね。
 善くいきていても しらずふとしたはずみで 誰かを傷つけていたりして
 自分の心だって なかなか指導しずらいのが現実ですが 刀鍛冶が
 鉄のかたまりを 鍛え鍛えて いつしか名刀を造りあげていくように
 自分の心を これでもか と 日々反省と決意を繰り返し
 みがいていかねばと思っています。それは きっと生涯かけてしていかねば
 ならない課題かと。・・・
2008年11月24日 20:25
最近わたしは人生は一生が修行なのだと思うようになりました。幸福に生きたいと願っても、苦しみや悪からそう簡単に逃れられるものではありません。もしかしたらこの世は流刑地みたいなもので、人間は全員犯罪者で、罰として生まれてくるのではないかとさえ思うことがあります。死刑囚の回心という事実を見るとき、我々がいかに謙虚に生きるべきかと教えられます。
2008年11月24日 21:30
 そのよぅな 見方ができるかもしれませんね。
見えない鎖につながれていたり、重い荷を背負って日々をいかねばならないとか、国によっては ぶっそうで心の自由さえ縛られているような世界、食べ物、お水さえままならないとか、また、物質的には恵まれていながら、愛に
飢えなければならない人間関係の中にいるとか、あげればきりがないけれど。
・・ご本人には 特になにもなくとも、まわりの誰かのことで悩まねば
ならないとか。・・けれど自分の心が強く美しく晴れて輝いていれば
心の闇に迷い苦しんでいる友や縁する人を明るく照らし温め元気にすることもできます   つづきます

2008年11月24日 21:47
苦しみの世界だから、そこに幸福と安らぎの楽しい世界にしようと、使命感を燃やすこともできます。些細なことでも大きなことでも、心を燃やしていきたら使命の人生に変身ですね。
苦しみを喜び楽しみに、地獄を天国に、するもしないも自身の決意行いにかかっているのです。名料理人が、どんな食材でも、美味しい料理に作りあげていくよぅに、どぅ乗り越え素敵な喜びの花に換えていくか、知恵、努力、忍耐
がいることです。
2008年11月26日 21:41
おっしゃるとおり、人生は基本的に心構えにつきるとわたしも思います。およそ死は万人の運命です。ですからその時までいかに生きるかということは万人の課題でしょう。しかしあえて申し上げるなら、本人の意志だけでは解決できない貧困や苦しみ、これは運命としかいいようがありませんが、それは現実にあります。これに耐え抜くのは並大抵のことではありません。もちろんそれを乗り越えていかなければならないのですが。その場合我々が共に生きているということを考えに入れるべきでしょう。誰かの助けがどうしても必要なことがあります。その点はご承知でしょうが、付け加えさせていただきます。
2008年12月24日 11:10
いつも有難うございます

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