生きることと死ぬことを考える

 あたりまえのことながら、人間は必ず死にます。人間に限らず生物というのは必ず死ぬことになっています。それにも関わらず現にこの世界には生物が存在しています。わたしは不思議なことのように思います。もちろん子孫を残すからということはこれまたあたりまえの理由ですが。
 わたしたちは生物に絶滅ということが起こることを知っています。現在もなお地球上では絶滅する生物種が多数あるわけです。人間もいつかは絶滅するに違いありません。しょせんはそうなら、なぜにわたしたちは生きることにきゅうきゅうとしていなくてはならないのだろうかと、わたしはまたまた不思議に思うのです。
 運命といえばそれまででしょう。そもそも生まれるということがなければ、死ぬということもありません。別のいいかたをすれば、死は生物に特有の自然現象なのです。わたしは死を先延ばしにするために、人間はいろいろと努力していると思えることがあります。
 こういう奇怪なことを考えるのはわたしが病気だからだと思います。普通の人々は日々を幸せに生きたいと願って毎日努力しているからです。わたしとて幸せになりたいと思います。しかし人間の究極の不幸が死であると考えると、人間は全員その絶対に避けられない不幸に日々向かっているわけです。そう考えると人間は全員不幸なのです。
 わたしは幸福を人生の目的に据えるより、不幸を自覚したほうが人間のためになると思います。人間は絶対的に不幸だと構えると、不幸があたりまえで、幸福というのはたまさかのことだと思えるだろうからです。
 あまりに悲観的な考えなのですが、昔の日本の民衆は貧乏があたりまえだったので、貧乏でも別に気にしていなかったという実例があります。また人間の心の働きは無限ですから、幸福を思い通りに求めれば際限がありません。ところが無限の幸福を求めても、人間の寿命も物的条件も有限なのですから、実現不可能です。
 幸福は文字通り有り難いと構えたほうがいいと思います。

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この記事へのコメント

2010年05月23日 22:26
死にもいろいろあって、幸福にみえる死、不幸にみえる死というものがあります。
死んでしまった人に「貴方の死はどうでしたか」ときくことはできませんから、あくまでそのようにみえるというだけです。
とはいえ、幸福な死も不幸な死も、やはり死に顔に顕われます。
お金持ちや、社会的に地位の高い人が必ずしも幸福な死を迎えられるとは限らないようです。
さすれば幸福とは何でしょうか。
心のあり方一つで、何に対しても感謝の念を抱くことができます。
感謝のあるところ、そこには幸福があるように思えます。
反対に、不満ばかりが募るところ、そこには不幸があるように思えます。
目に見える世界の幸不幸など、所詮は相対的で、幸福を手にしたと思ったそばから、それを失うことに怯えて暮らさねばならないことでしょう。
心の裡に平安と安寧を築くことができれば、それが幸福といえるのではないでしょうか。

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